木と、鉄と、旅する気持ちを形に。

家具作家 ワタナベケイタ(tripinterior)

宮城県白石市で家具や什器を手作りするワタナベケイタさんを訪ねた。その日は梅雨入り間近。重く湿った空気に耐えていた太陽が力尽き、昼過ぎから雨が降り出した6月の初旬。しっとりした空気の中、自らの手で繕う工房に私たちを招き入れてくれた。質問を投げかけると、やや間をおいてひとことひとこと丁寧に答えてくれるワタナベさんの纏う空気は、モノ作りだけでなく人とのかかわりにも心を砕く様子をうかがわせるものだった。

ワタナベさんのモノづくり

10歳くらいのころ、住んでいた家の大きな栗の木を伐採することがあったという。物心ついたころから一番身近にあった大きな樹。何を言うでもなく、毎年毎年実をならし、家と人とを見守ってきた栗の木。幼いながらに栗の実を拾い、親しんだ樹。伐採されたばかりの真新しい切り株に手を乗せた思い出。栗の木は伐られて建築材・家具材になったという。この体験がワタナベさんと木工、モノづくりの原体験だ。
そのころから人の何倍もの数の”秘密基地”をつくったというワタナベさん。ある時は白石川の中州に作り上げた秘密基地で仲間たちと煮炊きをたくらみ、お巡りさんに大目玉を食らったそう。そのとき、煙が大人にみつかってしまわないかと胸を高鳴らせ、火が熾きれば仲間と嬉しくなって「あおげ、あおげ!」と叫んだ。そんな昔話を昨日のことのように思い巡らせながらクスリと笑っていたワタナベさん。

大学を卒業して就職した会社の倒産を機に、働くことの意義を見つめ直したワタナベさんは、かねてから心の奥にあったモノづくりの道を歩みなおすことに。働きながら休みの日に家具・インテリアショップの工房に通い詰める日々。技術専門校に入学しイチから木工を学び、建具屋に就職。休み時間や休日を利用して自分のモノづくりを見つめ直す日々が続いた。ただ、周りを見渡せば社会人として後輩を引っ張る同世代たちに焦りを感じたこともあったという。そんな27、28歳の頃、まだまだ技術も拙い中ではあったが、2006年に個展「ダレデモ ヒトノ ヘヤハ キニナルモノ」を開催。販売を目的にしたわけでもなく、ただの自己表現ではあったというが、何かができるまで発表しない、ということではなく、まず恥をかこう、若いうちに転んでおこう、という想いがあったという。そんな想いから、幼いころ白石川で拾い、磨き上げた「流木」を、憧れの人に「一度見てほしい」と東京まで足を延ばしたこともあるのだそう。

2009年頃、家具を手掛けながらも家業である不動産業を継ぐことになり、平日はデスクワークをこなしながら、モノづくりを続ける今のライフスタイルへ。そのころ、会社の持ち物だった空き家を自らの手で直し始めた。結婚式の前日まで床のオイルがけをした。自分たちの手で作った家を、オープンハウスとして公開すると、白石という小さな街に人が集まった。そのオープンハウスを下敷きに、「白イチ」が始まった。仲間やお客さんに声をかけ、オリジナルの家具をはじめ古道具、パン、コーヒーなど様々な品が並び、モノとヒトとの交流を楽しむことのできる、路地裏のような雰囲気のある催しとなった。

好奇心と旅

幼いころから好奇心が強いほうだったというワタナベさん。見たことのないもの。触ってみる。食べてみる。子どもたちだけで沢登りに出かける。魚を獲って、何とかして食べる。それが「旅」の始まり。自分で確かめ、自分で体験しないとつまらないと思う質(タチ)。その延長線に旅がある。テレビやインターネットで映像で伝わってくることだけではなく、空気感や温度、湿度、そこから伝わってくる生の情報。そのかけがえのなさを伝えるモノづくり。

子どものころからの強い好奇心を、40歳を過ぎた「大人」になった現在でも感じさせるのが、”いつかいきたいところリスト”の存在だ。
ワタナベさんのその「リスト」は世界編と日本編があるらしく、テレビや雑誌、人から聞いたこと、あらゆる情報を、聞いたまま、見たままに心にとどめておくだけでなく、一つたりとも漏らさないように、リストとしてPC内にデータとして保存されているという。いつか、拝見させていただきたいものだ。
私たちのような一般人にも、気になった宿やカフェ、美術館、温泉地…さまざま「いってみたい」と思う場所について見聞きすることはあるにしても、ワタナベさんのように丁寧にリスト化しているような熱意の持ち主にはなかなか出会うことがない。

そんな好奇心がワタナベさんの中に積み重ねてきたさまざまな生の情報が、独特の感性を産みだしているのかもしれないと想像した。モノづくりという軸があり、時間的なtrip:古いもの・既成観念・固定観念にとらわれないこと、物の価値・モノを見る、それが、「木と、鉄と、旅するきもち」(tripinteriorさん名刺より)なのかもしれない。

鉄と合わせる

ワタナベさんの作品には、ある種の懐かしさのようなものがある。今回のインタビューではその一端に触れることができたかもしれない。
高度経済成長期のいわゆる「文化住宅」で使われていたテーブル。鉄脚にメラミン天板が載ったあのフォルム。4人家族がやっとつかえそうな、少し窮屈だけどかわいらしいあのテーブルだ。ある時、白石市内の空き地で朽ち果てている「それ」を見つけた。空き地の所有者に交渉し、そこから持ちだし、鉄工所に持ち込み、「これと同じように作れないか」と相談したという。空き地の所有者も、鉄工所の親方もさぞ「変な奴」と思ったことだろう。現在tripinteriorの定番となっている商品の原型が、このテーブルである。

自然の素材と付き合う

ある時、そんなワタナベさんに作ってもらったテーブルの天板に割れが入り、修理の相談をしたことがあった。そのテーブルはワタナベさんの手持ちの家具用材ではなく、坂元の森の雑木林のナラとクリをはぎ合わせてもらったものだった。里山で奔放に育った材ゆえに想定を超えて収縮し、裏の反り止めの金物にぶつかり、30センチほど木口から割けてしまったのだった。
ワタナベさんに見てもらい、修理を相談した。オーソドックスな方法として、割れた部分を切り落とし、新たに似た材を付け直す方法も考えられた。
しかし、割れを無かった事にするのではなく、無垢材を繕いながら、共生するそんな生活が贅沢だと、「ちぎり」という方法を提案してくれた。
「ちぎり」という部材で材料の動きをある程度抑え、割れは使用に耐えられるレベルで残した。接着剤で押さえつけるのではなく、クサビによる割れ留めとした。そのため季節により動きがでるが、「ちぎり」自体も木なので共に動くお互いの関係によって、割れの進行を抑えることができるという。

「自然の素材にはメリットもあれば、リスクもあります。しかし、そのリスクは少しの工夫と寛容な心持ちでカバー出来ると思っています。どうぞこれからも木の魅力をお伝え頂ければと思います。」
こんな言葉を添えて修繕方法と付き合い方を説明してくれた。坂元植林の家でも、こんな言葉で、こんな気持ちで、モノづくりとそれをとりまく人の考え方にも寄りそっていける作り手と、これからもいい仕事をしていきたいと思った。

取材・⽂ ⾚塚慶太(株式会社サカモト/サカモト植林の家)

tripinterior ワタナベケイタ
https://www.instagram.com/tripinterior/
住所/宮城県白石市堂場前30-2