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「ソト」と住まいとの関係がどう変わってきたか

以前の記事で、「ソトとつながる暮らし」とは、どういうことか。
…ということについて考えてみました。

そこで、今回は「ソト」と住まいとの関係がどう変わってきたかについて考えてみたいと思います。

かつて、日々の暮らしというものは、地域の自然や風土、それに基づいた文化や生業の上に成り立つものでした。

例えば、柴田町の成田地区では、大正期(1912年頃~)から戦後ごろ(1945年)に養蚕が盛んで、
いま畑になっている場所や、スギヒノキ林になっている場所もかつては蚕の餌となる桑畑だったそうです。


エルドンさんによる写真ACからの桑の実の写真

蚕の餌やりは一日4回、真夜中も行われ、
養蚕業を営んでいた古い民家では、大量の桑の葉を出し入れするための、滑車を使ったエレベーターのような仕組み(もちろん人力)が、土間と蚕部屋をつないでいるのを見かけます。
(エレベーターのような仕組みでなくとも、桑の葉を出し入れのための大きな窓を設けたりしている。)
その当時の記録を読むと、繁忙期には蚕のためのスペースが人の生活空間を圧迫し、蚕の間で寝ていたこともあるそうです。


IORIさんによる写真ACからの写真

このように、野には桑の木が植えられ、その桑の木を食べて育つ蚕を育てやすい住まいが作られ、蚕から得られるめぐみ、生糸による収入で地域が潤っていた時代が確かにあったということが言えそうです。

つまり、地域の気候に合った作物(この例では桑)と生業(同じく養蚕業)が結びつき、
その当時の暮らしを作り出していた、と言えるのではないでしょうか。
その住まい(いまでいう古民家)は、その地域の風土や生業とともに、積み重ねられた知恵や知識の集大成だったと想像できます。

それが、現代の家づくりはどうでしょう。

工場で作られたパネルを一斉に組み立てて、その土地の風土や生業とはかかわりなく、全国で似たような建物がどんどんと建てられては数十年で魅力を失い、建て替えられてしまっているのではないでしょうか。

それらの家で営まれる暮らしはどうでしょう。
会社や学校との往復でしかなく、たまの休日も家族で過ごすわけでもなく、
個別の部屋でテレビを見たりゲームをして過ごす…。

食事の材料はほぼすべてスーパーで買ってくることが当然で、
壊れてしまった器も、ほつれた衣服も繕われることはなく、ただ消費されていく。

住まいは眠るために、休むために戻ってくる単なる箱と化し、
衣食住、生活の多くの部分を外部に頼っているのが現代の暮らしではないでしょうか。


もちろん、家でゆっくり休むことや、一人で楽しみにしているテレビ番組やゲームを楽しむことを否定するわけではありません。私もお笑い番組は好きでよく見るし、テレビゲームもたまにはします。

ですが、暮らしのほとんどが、ソトの世界とのつながりを失い、生き物としての本来の力を失っているような気がしてならない今日このごろです。

ゲームばかりしていては肩がこるし、テレビ番組もいいですが、

四季の移ろいとともに変わっていく自然の姿に目を向けたり、
お隣さんと畑の野菜の話をするのも楽しいですし、
自分で育ててみた野菜を今晩の料理に添えたり、
朝、自分で育てたハーブティーで体を温めてみたり、
そんな過ごし方、暮らし方をもう一度見直してみることを提案したいと思っています。

そんな暮らしに興味のある方は、一度坂元植林の家のモデルハウスや、完成見学会などに遊びにきてみてはいかがでしょうか。
何かヒントがあるかもしれません。